(アーカイブ)わざわざ自分のサイトに記事として書くほどのことでもない

はてダがなくなるらしいので過去記事を移しただけのアーカイブ。ここは更新しません。

真のゲーマーはゲームに費やした時間についてああだこうだ考えたりしない。

こんな記事書いてる時点で、原文の著者は真のゲーマーではない。真のゲーマーはゲームに費やした時間についてああだこうだ考えたりしない。いや、この言い方だと語弊があるな。ゲームに費やした時間が無駄かどうかについて悩んだりしない。
積みゲーを消化する時間をどうやって確保するかで悩んだり(仕事で忙しかったり、大学のレポートに追われていたり、ゲーマーも忙しいのです)、「あのゲームが欲しいけど確か同時にあれの発売日でもあったはず。同時購入したら間違いなく死ねる。どっちを先に買おう」とか、そういう(非ゲーマーにとって)どうでもいいことで、ゲーマーは日々悩み続けているのです。ゲームをする時間の生産性とか(非ゲーマーにとって)重要そうなことについて考えたりしません。っていうか、苦悩するくらいだったらゲームを趣味にするな。楽しめなきゃ趣味にならんだろうに。

地域の病院でボランティア、語学の勉強、ネズミの巣のごとくごちゃごちゃになっているオフィスの掃除、新しい原稿の執筆にとりかかる、なんだってできたじゃないか!

"WIRED VISION / 「ゲーマーの後悔」は終わらない"

じゃあ、ボランティアを趣味にすればいいんじゃね?(すげーどうでもよさそうな感じで
ゲーマーだったら「ゲームなんて時間の無駄だから止めろ」ってなことを言われたときに、ゲームという世界最高の娯楽に没頭するよりも楽しくて有意義な事が他にあるなら見せてくれ。と言い返すくらいの気概が欲しい。
話変わるけど、ゲームについてだけこういう記事が書かれるのは何故? 読書とか音楽とか絵画について同じような内容の記事が書かれているのを見たことがない。
そもそも、趣味に生産性を求めている時点でダメだと思うんですけど。生産性っていうか、意義っていうか、そういったものを求めると、頑張らないといけなくなるから、その時点で趣味ではなくなってしまう気がする。楽しんだ結果として生産性が出てくる(日本語おかしい)のは大変結構なことだけど、生産性を突き詰めた結果楽しめなくなってしまっては本末転倒にもほどがある。趣味とは余った時間を楽しく消費するためのものだと、私はそう思っているから。

追記

もっとも、元記事はもっと軽いノリで書かれたものかもしれませんけどね。「やべーゲームにこんなに時間つかっちまった、俺ってなんて馬鹿なんだ(ゲームやりながら)」みたいな。